2017
09.01

第15話

コラム, 昭和音楽コラム|1960から

以前にも書きましたが、1970年まではガール・ポップ・グループはザ・ピーナッツ、ペニ、シスターズ、コーラスを主体としたスリー・グレイセス、スリーバブルス等が活躍していました。

70年に渡辺プロダクションの傍系会社で井沢健が仕切っていた「サンズ」と組んでガール・ボップ・グループを作る話があり、当時の名スカウトマン上条英男が可愛い女の子を集めてフジテレビ土曜の午後の生番狙「ビート・ポップス」(大橋巨泉、星加ルミ子が司会)で女の子違にゴーゴーダンスを踊らせていました(小山ルミ、杉本エマなどもいた)。

その中からハーフの女の子ばかりを集めてグループを組ませたのがゴールデン・ハーフ。
選んだ5人は「エバ=53年生まれ/スベイン人の父と日本人(母)」「マリア=55年生まれ/アメリカと日本人」「ルナ=52年生まれ/ドイツと日本人」「ユミ=50年生まれ/イタリアと日本人」「エリ=51年生まれ/タイと日本人」でした(後に「ユミ」は実は両親とも日本人と自ら告白)。

デビュー曲はハマクラさんの名曲スリー・キャッツの「黄色いサクランボ」(オリジナルは「黄色いさくらんぼ」)のカバーに決めました(デピュー盤のカップリング「恋人がほしいの」と2枚目の「ケ・セラ・セラ」のカップリングの「女の弱点教えます」が2曲オリジナルで、それ以外は全てカバー曲)。

「賛色いサクランボ」の録音も終わり、ジャケット写真も撮り終えて、さあ発売となった時に「エリ」が脱退するとの情報が入りました。
テレピでは「8時だョ!全員集合」の準レギュラーも決まり(71年からレギュラー)順風満帆の出発だったのに……。
ジャケットには5人で写っていますが、その後の活動は4人で行いました。

ジャケットは本当に5人ですね。

73年にリーダー格の「ユミ」が脱退し、74年の解散までは”エバ・ルナ・マリア”の3人で活躍。10牧のシングル盤をリリース、5牧目の「チョット・マッテ。クダサイ」、8牧目の「太陽の彼方」がヒットしました。タイトルにはすべて頭に「ゴールデン・ハーフの〜」と付けています。これはカバー曲が多かったためで、ドリフターズも同じように「ドリフの〜」と付けています。

その後、本家の渡辺プロから73年に「キャンディーズ」がデビュー。
「全員集台」のレギュラーを交代してから74年2月の「メロンの気持」を最後にゴールデン・ハーフは解散。マリアとルナは女優業へ、エバはソロとして橋本淳・筒美京平の「ほほにかかる涙」で再デビュー、その後タレントとしてテレビのバラエティ番粗などで活躍しました。同じく72年に黒人のハーフ女性を集めてBeauty Black Stones=「B・B・S」というグループも作ってみましたが惨散。懲りずに日劇ダンシングチームの選抜メンバーで作った「ポビーズ」は「B・B・S」のデビュー曲のカバーでした。=敬称略=

(草野浩二=元東芝レコード・ディレクター 「月刊てりとりぃ」2013年9月28日号に掲載)
※著者及び「月刊てりとりぃ」より許諾をいただいて転載しております。

コメントは利用できません