2017
08.10

第12話

コラム, 昭和音楽コラム|1960から

前回、橋本淳・筒美京平と巡りあった話を書きましたが、グループ・サウンズ出現以来若手のフリーの作家の台頭で、レコード会社の専属作家の中からフリーとなる人たちがでてきます。

カバー・ポップスからJポップへの転換期がやってくるのです。

中村八大・宮川泰・萩原哲晶・永六輔・岩谷時子・青島幸男のような最初から、どのレコード会社にも属さなかった人たち。浜口庫之助、いずみたくの二人がコロムビア、ビクターからそれぞれフリーとなります。

おニ入とも僕との初仕事は坂本九で「見上げてごらん夜の星を」「涙くんさよなら」でした。

グループ・サウンズを書いていた人たちは、作曲では、すきやまこういち・筒美京平・鈴木邦彦・村井邦彦・井上忠夫、作飼では橋本淳・なかにし礼・安井かずみ・阿久悠等、グループ・サウンズとはあまりかかわらなかった人では平尾昌晃・鈴木淳・中村泰士、都倉俊一がグループ・サウンズ以降の歌謡曲(Jポップ)の世界に現れます。

GSブームの後各社が力を入れたのが、女性ポップスでした。この流れが70年、80年代のアイドル・プームへとつながるのです。

東芝では奥村チヨ、黛ジュン、小川知子、渚ゆう子、由紀さおり。他社のライバルは伊東ゆかり、いしだあゆみ、園まり、佐良直美等が69年までの流れで、70年代に入ると小柳ルミ子を筆頭に、多士済々の女性ポップス・シンガーがデピューしてきます。

一方で、当時のバンド・ブームの先陣を切ったペンチャーズの楽曲に歌詞をつけて歌うカバーとはちょっと違った作品が生まれます。後に「ベンチャーズ歌謡」と呼ばれるものです。

第1号が「二人の銀座(ギンザ・ライツ〕」日活映画の若手スターだった和泉雅子、山内賢のデュエットでした。

2作目は奥村チヨで「北国の青い空」続けて山内・和泉で「東京ナイト」。

70年の渚ゆう子「京都の恋」「京都慕情」が大ヒットしてからは、味を占めたベンチャーズから、今度はこんな曲が出来たぞと何曲も入ったテープが届きました。バンド演妻として作った曲なので音域が広く「北国の青い空(ホッカイドウ・スカイ〕」などは2オクターブもあってチヨも歌うのに苦労しました。

届いたテープのなかに「ストレンジャー・イン、ミドウスジ」というタイトルのついた曲がありました。誰に歌わせようかと思っていた時、ちょうど台湾でスカウトした欧陽菲菲が来日してきます。アメリカ人の曲を日本語で台湾人に歌わせるという仕事も初めてでした。

この曲はチャート1位を獲得し菲菲は第13回レコード大賞新人賞を貰いました。その後渚ゆう子の「長崎慕情」があり、彼等はツアーで日本全国をまわり、行く先々でこ当地ソングを書いていたのかも知れません。アレンジを施し、メロディーを歌いやすくしてくれたのは川口真でした。(敬称略)

(草野浩二=元東芝レコード・ディレクター 「月刊てりとりぃ」2013年6月29日号に掲載)
※著者及び「月刊てりとりぃ」より許諾をいただいて転載しております。

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