2017
07.29

第10話

コラム, 昭和音楽コラム|1960から

1960年頃から始まったカバー・ポップスも1963年中頃からネタ元である肝心の欧米でもロック・バンド志向が強くなり、今までの「ポール・アンカ」「ニール・セダカ」「コニー・フランシス」に代表されるいわゆる”キャンディ・ボップス”は日本語に訳レても夢があったのだけれど、「ザ・ビートルズ」「ローリング・ストーンズ」などの作品になると、歌の中にメッセージ性が出てきて今までのように“今日はどうしてあの娘と逢えないんだろう…”というような甘っちょろい歌詞では成り立たなくなってきます。それでも当時僕の頭の中にはカバー・ポップスが半分以上占めていたので、これだけ売れているのならビートルズの「抱きしめたい」もカパーしようと。
手持ちのタレントの中から”スリー・ファンキーズ”でやろうと”漣健児”に訳詩をお頭いしたのですが、今までの”キャンディ・ポップス”のようにひとつ返事で「いいよ」という感じではなく結構悩んだ挙句「♪お前を抱きしめた〜い♪」の歌詞が出来上がりました。出来上がったあとでも漣本入は嫌がっていましたが、その後何故か「東京ビートルズ」に”プリーズ・プリーズ・ミー“を書いたり、ビートルズ・ファン・クラプからクレームの葉書が山のように来たカーナビーツの「オブラディ・オブラダ」は、“モーリーとデズモンド”の話を”太郎と花子”の物語に豊き換えた詞として話題となりました。

その頃僕の担当していた「尾藤イサオ」のバック・バンドだった「ブルー・コメッツ」の井上忠夫(大輔)さんから、自分達で曲を作ったので聴いて欲しいとの話があったのですが、僕の中ではまだバンド志向は無く尾藤イサオのヒットつくりに専念したかったので、その話は断ったんですよ(後で考えて大きな魚を逃がしたなあ〕。
そのせいか、その後に興ったグループ・サウンズ・ブームに完全に乗り遅れました。グループ・サウンズのヒットは1曲も作っていません。唯一の「ガリバース」は後にお宝レコードとして高値がつきましたが……。GSプームの陰で次を狙ってガール・ポップスの仕込みにも力をそそぎました。奥村チヨ、渚ゆう子、欧陽非非、ゴールデン・ハーフ、安西マリアなどがGSで育った若い作家たち「簡美京平」「鈴木邦彦」「村井邦彦」「橋本淳」と一緒にオリジナル曲で女性ポップスのプームを作っていきます。他にも『いしだあゆみ」「由紀さおり」「薫ジュン」「小川知子」「中村晃子」等がガール・ボップスをけん引して行きます。

(草野浩二=元東芝レコード・ディレクター 「月刊てりとりぃ」2013年4月27日号に掲載)
※著者及び「月刊てりとりぃ」より許諾をいただいて転載しております。

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