2017
07.17

第9話

コラム, 昭和音楽コラム|1960から

入社以来始めたカバー・ボップスがテレビ、ジャズ喫茶、ウェススタン・カーニバル等のおかげで大流行。おかげさまで新入社員のディレクターの首もつながっています。外国で発売になった新曲をカバー向きか、どの歌手に合いそうかを考え、いち早く訳詞をつけなければなりません。
今回はお世話になった訳詞家の方々のことを書いてみます。訳詞となっていますが、ほとんどの曲は原曲のタイトルとか詞の大意からイメージをふくらまして書いていて内容的にはほぼオリジナルと言っても良い作品ばかりです。
デピュー作の「悲しき六十才」の青島幸男さんが良い例で、原曲の意味はまったくわからず当時ヒットしていたザ・ピーナッツの「悲しき十六才」のタイトルから思いついたものでした。青島さんは訳詞よりそれ以降の「九ちゃんのズンタタッタ」「九ちゃん音頭」「明日があるさ」や、クレージー一連の作品で作詞家へ。

「悲しき六十才」のカップリングの「恋のホームタウン」でみナみカズみさんとの初仕事。彼女は当時フェリス女子大の学生でシンコーミュージックの歌本につける訳飼のルバイトをしていたので、「マイ・ホーム・タウン」を選曲した時に、これに詞をつけて下さいと依頼。それ以来みナみ名義のカバー曲はアルバムも入れると約100曲あります。そのたびに名前を間違えなく書くように気を使いました。

「悲しき60才」ジャケット。B面「恋のホームタウン」作詩「みナみ カズみ」とありますね

この変な書き方は兄の草野昌一が考えたものでした。これがみナみの訳飼生活の始まりでした。その後の64年7月に弘田三枝子の「ひとつぶの真珠」(作曲:宮川泰)が安井かずみとベンネームが変わった彼女の初仕事となります。
岩谷時子さんはすでに森山加代子の「月影のナボリ」を書いていましたが、この当時同じ作家が2社のレコード会社に同じペンネームで書くことは無かったので、おなじ「月影のナポリ」をキングレコードのザ・ピーナッツで録音した時は「千家春」というペンネームを使って詞を書き分けています。
「ピキニスタイルのお嬢さん」のことは以前にも書きましたが、B面の「ステキなタイミング」の方がヒットしてしまったおかげで漣健児(=草野昌一)が登場します。漣も歌本の訳詩をつけるところから始まったのですが、歌本の時は新田宣夫のベンネームを使っていました。「赤鼻のトナカイ」が代表作です。「ステキなタイミング」を決めた時に急いでいたのと、B面だしいいかと近くにいた兄にちょっと書いてよと頼んだのがきっかけで60年代初頭のカバー・ポップス全盛期を草野兄弟で突っ走ることができました。あと「月影のキューバ」「じんじろげ」「メロンの気持」等のヒットのあるホセ・しばさき・渡舟人・柴崎宗佐(同ー人物)は当時東芝レコード学芸教養部のディレクターで童謡のレコードを制作していた先輩でした。

僕の入社以前に山下敬二郎の「ダイアナ」「バルコニーに座って」等を、書いていました。残念ながら2010年に94歳で亡くなられました。ホセ・しばさきと渡舟人をどう使い分けているのか聞きそびれたままです。

(草野浩二=元東芝レコード・ディレクター 「月刊てりとりぃ」2013年3月30日号に掲載)
※著者及び「月刊てりとりぃ」より許諾をいただいて転載しております。

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