2017
11.27

第18話

コラム, 昭和音楽コラム|1960から

デビュー50周年を迎えた尾藤イサオの初のベストアルバムの監修をEMIから依頼されました。

そのベスト盤のジャケット

この時代の歌手でヒット曲も結構あるのに、ベスト盤が初めてとは思いませんでした。

私が彼の制作を担当するようになったのはデピューシングルの「匕首マッキー」でボビー・ダーリンの「マック・ザ・ナイフ」のカバーでした。
彼はレコード・デビューの1年位前からテレピの「スパーク・ショー」「パント・ポップ・ショー」で活躍し<スバーク・ボーイ>と呼ばれていました。
デビュー以来、数枚のカバー曲を出した後、65年7月に出したアニマルズのカバー「悲しき願い」が大ヒットし一安心。「ヒ首マッキー」はスタジオ、ミュージシャンがバックを演妻していますが、2枚目の「淋しいだけゃない」からは、尾藤が所属していた「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」がバックの演奏をしています。

「悲しき願い」のアレンジも井上忠夫で、ブルコメとして活躍する前のいわゆるジャズ喫茶時代のサウンドをたっぶり聴くことが出来ます。
この頃井上忠夫から自分達のバンドだけで曲を作ったので聴いて歌しいとの話がありました。ビートルズやローリング・ストーズのようにバンドとしての活動がやってみたいという話でした。私はまだカバー、ポップスから抜け出せず、バンド志向は不勉強で、ソロ・ヴォーカルのヒット狙いばかりを考えていました。しかし、その時の曲が「青い瞳」だったのです。その後遣症のせいか私はグループ・サウンズ・プームに乗り損ねてしまいました。

尾藤の話に戻りますと、64年10月と65年12月に尾藤とブルコメ、内田裕也と寺内タケシとブルー・ジーンズの二組のバンドでロックンロールのアルバム「ロック、サーフィン、ホット・ロッド』「レッツ・ゴー・モンキー」の2牧のアルバムを制作しました。多分これが日本のロックのアルバムの第1号ではないかと思っていますが…。

当時のジャケット 尾藤イサオさんと内田裕也さん!!

今回のベストアルバムの選曲は、初期のカバー物と橋本淳、すぎやまこういち、筒美京平、川口真らの若かりし頃の作品と1978年にサンタ・エスメラルダの「悲しき願い」が再ヒットした時に女の子を二人つけて「尾藤イサオとドーン」と名付けて(トニー・オーランドとドーンのバクリでした)再度カバーした作品、それに昨年8月のNHK「想い出のメロディー」で尾藤が、亡くなった盟友、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」を歌ったところ、多くの反響が寄せられたことから、同曲を今回カバーすることにしました。

EMIがユニバーサルと合併したおかげで、フォノグラム時代の尾崎の歌ったオリジナルのカラオケを使用できることとなり、なにかの縁を感じました。

=以上、敬称略=

(草野浩二=元東芝レコード・ディレクター 「月刊てりとりぃ」2013年12月28日号に掲載)
※著者及び「月刊てりとりぃ」より許諾をいただいて転載しております。

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