2017
10.16

第16話

コラム, 昭和音楽コラム|1960から

話を遡ると私のディレクターとしてのデビュー作は、ダニー飯田とパラダイス・キング(以下パラキンと略)と坂本九でした。

パラキンのリーダー、ダニー飯田とはハワイアン音楽を通じて以前からの知り合いでした。
私が学生時代に知り合った時は、ダニー飯田とパラダイス・ハーモニーと名乗るハワイアン・バンドでメイン・ヴォーカルは水原弘でした。
59年に果芝レコードから水原が「黒い花びら」でソロデビューし、第1回のレコード大賞を獲得。その後ソロとして迎えられたのが坂本九です。

当時パラキンにはキューピーこと石川進、佐野修、増田多夢などのメンバーがいて、ハワイアンで鍛えたコーラスは一級品でしたが、当時のロカビリープームからポップスに転向、パラダイス・キングに変名して活躍を始めました。「悲しき60才」「ステキなタイミング」や他のヒット曲もパラキンのコーラスとダニー飯田のアレンジなしには出来なかったと思います。

61年の『上を向いて歩こう」ヒット後も坂本はソロと並行してパラキンとの作品を続けます。

62年には「花咲く街角」、山田洋次作詞、ダニー飯田作曲の「ボクの星」「レッツゴー物語」、63年の「グッドバイ・ジョー」まで。

坂本と石川のソロ転向後には九重祐三子が加入します。九重はバラキンのファンとして出入りしていましたが、ダニーに口説かれてメンバーになりました。
九重参加の初作品はフォー・シーズンズの「シェリー」、高音がパラキンのハーモニーとマッチして、坂本以降のパラキンの大ヒットになります。

続けてやはりフォー・シーズンズの「恋のやせがまん」、九重と増田のデュエットで「へイ・ポーラ」、佐野との「ミスター・ベースマン」等のヒットの後、ソロでNHK『夢であいましょう』今月の歌「ウエディング・ドレス」を発売。その後も「ロリー・ポップ・リップス」『ネイビー・ブルー」等パラキンとのヒットが読きました。

九重のソロ活勤が増える中新たなメンバーも色々トライします。富松千代志、赤木良輔等が参加して「僕のマシュマロちゃん」「ヒピヒピ・シェイク」「恋のダイヤモンドリング」、大瀧詠一から「よくカバーしましたね」と言われた「コンクリート・アンド・クレイ」等、その後もいくつかの作品がありますが、パラキンと私の最後の作品はサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」。67年の映画「卒業」に使われる前のカバーです。

なお、パラキンの全作品を一緒に作って来たダニー飯田は99年7月に逝去しました。

=以上、敬称略=

(草野浩二=元東芝レコード・ディレクター 「月刊てりとりぃ」2013年10月26日号に掲載)
※著者及び「月刊てりとりぃ」より許諾をいただいて転載しております。

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